基礎研究


Q1:どのような基礎研究を行っているのですか?

ヒトは、コミュニケーションを図るためのツールとして言語を持っています。このツールを利用することでヒトは社会の構成員と他の動物とは比較にならないほど高度なレベルのメッセージのやりとりが可能となりました。ヒトが言語を持たなかったなら、これほど高度な文明が生まれることはなかったのではないかと言われています。さて、言語は用いられる媒体により幾つかに分類されますが、最も基本となるのは音声言語と言われています。正常な聴覚器官を備えて誕生した場合、最初に習得する言語は音声言語だからです。音声言語を用いた言語コミュニケーションは、日常的に繰り広げられているごくありふれた行為です。では、ヒトは言語を用いてどのようにメッセージのやり取りを行っているのでしょうか。言語は一般的には二つの側面から構成されています。一つは、メッセージを発信するための言語生成(language production)と呼ばれるものです。もう一つは、メッセージを受信するための言語理解(language comprehention)と呼ばれるものです。E-Listening Laboratoryが取り組んでいるのは、後者の音声言語に関する言語理解の基本メカニズムの解明です。つまり、話し言葉がどのようなプロセスを経て理解されるのか、その仕組みを解き明かす研究を行っています。

Q2:もう少し具体的に説明して下さい。

言語によるコミュニケーションで言語理解が行われるためには単語を認識することが不可欠です。なぜならば、ヒトが用いる言語では単語を組み合わせることによってメッセージを発信しているからです。つまり、言語理解は語彙を正しく認識することから始まると言えるでしょう。もちろん、語彙を認識した後で文法の規則に従って文の解釈が行われるので語彙を認識するだけではメッセージを理解することはできないことは言うまでもありません。しかし、もし語彙の認識が正しく行われなければ、文法の知識がどれだけあっても正しいメッセージが理解されることはありません。

語彙認識とは一言で言えば単語を認識することです。一般的に単語というと書き言葉の単語を想い起こすことが多いのではないでしょうか。書き言葉の単語は、文字を単位として構成されています。文字は目で見ることができるため、単語内で使われている文字、文字がどのような順で配置されているのかなど語彙情報は容易に理解できます。また、西欧語などでは文中の単語は単語間に空白が入るため語彙の判定は容易です。では、話し言葉の単語はどうなのでしょうか。話し言葉の単語は、文字の代わりに音で構成されています。音は耳で聞いて認識することはできますが、目で見ることはできません。単語内にどのような音が使われているのか、音がどのように配置されているのかと言った語彙情報は聴覚を通じて頭の中で確認するしかありません。また、通常の発話では単語間には境界を示すものはありません。発話は連続体として存在するため単語を認識することは本来は至難の業なのです。「そんな馬鹿な!日本語の発話を聞いている時全ての単語は明確に認識できるではないか」と考える人がいるかもしれません。しかし、これは日本語の母語話者が日本語の発話の中から語彙を認識する仕組みを獲得したからこそ容易にできるのです。外国語の発話を聞いた時にはどのように感じるでしょうか。単語を認識することはとても難しいと感じられはしないでしょうか。では、英語を母語する話者、韓国語を母語とする話者、中国語を母語とする話者はどのように語彙を認識しているのでしょうか。同じような仕組みで語彙の認識をしているのでしょうか。あるいは、異なった仕組みで認識をしているのでしょうか。

語彙認識の研究では、上で述べたような疑問に対する答えを見出す研究を行っているのです。この地球上には5000以上の言語が存在すると言われています。これらの言語の語彙認識は言語によってどのように異なるのか、あるいは共通していることはどのようなものであるのかなど語彙認識のメカニズムの普遍的性と個別性の両面を研究しています。語彙認識の研究は母語話者を中心に行われてきましたが、グローバル社会が登場したこともあり近年は第二言語話者の語彙認識のメカニズムにも大きな関心が寄せられるようになっています。ここで述べた研究は、言語学と心理学を融合させた心理言語学と呼ばれる領域で行われています。また、音声言語と直接関わりを持つ音声学や音韻論と呼ばれる分野の研究も併せて行っています。

Q3: 音声言語の語彙認識の基礎研究に取り組むようになったきっかけは?

音声言語の語彙認識のメカニズムの研究に取り組むようになったきっかけは、国際共同プロジェクトに参加したことから始まりました。1970年代からこの問題の研究を始めていた二人の研究者が欧州の研究所にいました。一人は当時フランスのパリにあるCNRSの心理言語学の研究所の所長であったMehler博士です。もう一人は英国のケンブリッジにあるMRCの主席研究員をしていたCutler博士です。この二人は科学雑誌Natureに共同研究の成果の一部を発表した後、HFSP(Human Frontier Science Program)と呼ばれる財団より国際共同研究助成金を得て6カ国の研究者が参加する国際共同研究プロジェクトを立ち上げました。この国際共同プロジェクトのテーマは、音声言語の語彙認識が諸言語の音韻情報とどのように関わりを持つかを解き明かすというものでした。この国際共同プロジェクトでは、フランス、イギリス、ベルギー、カナダ、スペイン、そして日本の6カ国の研究者が中心となりました。日本からは日本の認知科学研究の第一人者であり、恩師であった故波多野誼余夫博士より音声言語の重要な国際研究プロジェクトが始まるので参画するようお誘いを受けたことがきっかけです。

この国際共同研究プロジェクトは、音声言語に関する最先端の心理言語学の研究者を欧米アジアから招き、イタリアの地中海に面する古都トリエステのSISSA(イタリア国際膏等研究所)で3週間にわたり滞在しながら議論をすることから始まりました。3年間にわたり共同研究を行いましたが、幸いにもこのプロジェクトでは大きな研究成果を生み出すことができました。その成果の一端は、1999年に発刊されたHFSP10周年記念冊子 に紹介されています。また、2004年7月に発刊されたNewsweek 日本語版でも成果の一部が紹介されました。

この国際共同研究プロジェクトが終了した後、プロジェクトリーダーの一人であったCutler博士が1993年にMax Planck Institute for Psycholinguisticsの所長の一人として就任してから今日に至るまで共同研究を行っています。17年間に渡り音声言語の語彙認識の基礎研究を行ってきましたが、後で述べるようにこのプロジェクトの知見は研究開発で行っている英語のリスニング能力を改善するための学習プログラム開発に多くのヒントを与えてくれています。

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